北村龍平

  

Both sides of the story

なんだか、


日本と韓国、
日本と中国、


ややこしいことになってるな。

誰が言ったか知らんが、
日本人が旅行で行くには「危険ゾーン」らしい。


俺は韓国も韓国映画も、
韓国俳優も東方神起も大好きだ。

つい先日も、
観たら泣き殺されることがわかっていたので、
何年も観ていなかった「私の頭の中の消しゴム」を観て、
案の定、泣き殺されたばかりだ。

数あるロスのレストランで一番のお気に入りは、
アメリカで一件しかない参鶏湯屋。

今これを書きながらかかっているのは、
KARAのミュージックビデオ集だ。


そして中国映画。
クリスチャン・ベール主演。
巨匠チャン・イーモウ監督。
南京事件を生き抜いた孤児院の少女達を描いた、
「フラワーズ・オブ・ウォー」という作品を観た。

もちろん劇中、日本兵は悪逆非道の限りを尽くす。
どれほど史実に忠実なのかは疑問だが、
プロパガンダ目的で作られたとは思えない、
純粋にただ、素晴らしい作品だった。
ぜひ日本でも公開すべきだ。


こんな風にいつも韓国や中国の文化に触れて、
エネルギーをもらい、影響を受けてきた。
友人も仕事仲間もたくさんいる。

今準備中の作品には、
俺にとって初めての中国資本で、
中国で撮る予定の作品も含まれているし、
韓国・ハリウッド合作の企画も進んでいる。

だからこういうニュースを見ると、胸が痛む。


去年、アメリカ南部のルイジアナ州で映画を撮った。
奴隷制度や人種差別が活発だった地だ。

そこに戦争博物館というのがあった。

ちょうどその日は休日で、
女子ワールドカップ決勝の日米決戦が行われていた。

よりによってそんな時に戦争博物館に行く俺も俺だが、
その日しか休みがなかったので仕方ない。

第二次世界大戦のコーナー。
そこに展示されていた当時のポスター。
それがこの写真だ。


THIS IS THE ENEMY
これが、敵だ。


まるでケダモノのように描かれた日本兵。
当時のアメリカ人には、
イエローモンキーのジャップはこう見えていたのだろう。

衝撃だった。

それから数十年の時が流れ、
日本人の俺が人種問題の根深いアメリカ南部で、
100人近いアメリカ人と一緒に映画を創っているというのは、
よく考えたら凄いことだなあ。

そう思いながら、このポスターを見ていた。


翌日撮影に戻ると、
みんながワールドカップの話で盛り上がり、
いい試合だった、いい勝負だった、と喜んでいた。
アメリカが負けたとか、日本が勝ったとか、
そんなことではなく純粋に健闘を讃えていた。

自国を応援する気持ちはもちろんわかるが、
かといって相手国に敵意を剥き出しにする気持ちは俺にはないし、
監督の俺が日本人だったからなのかどうかはわからないが、
この時のアメリカ人クルー達にもそれはなかった。

うん、そうだよな。

勝負事には必ず勝者がいて敗者がいる。

シンプルにそれでいいんじゃないのかな、と思った。

でも実際はそんなにシンプルじゃない。

国がどうのこうのってなると、
何故どうにもこうにもきな臭い話になってくるのか。


幼少の頃から同じ場所にあまり留まったことがない。
小学校も5回変わったし、そもそもほとんど行ってない。
中学だけはどうにか3年間通ったが、高校は一年半で辞めた。

かろうじて地元と呼べるのは、
中学を過ごした大阪・吹田だけだ。

いろんなところを転々としながら、友人や恋人を作ってきた。

だからなおさら、
どこの国だとか、どこの出身だとか、
そういったことをあまり気にしたことがない。

だけど現実世界では、
どうしても国籍がついてまわる。
肌の色がついてまわる。

こうしてアメリカに住み、仕事をするためにも、
大変な思いをして、大金を払ってビザを取らなくてはならない。


国が、環境が、宗教が違えば、
常識や価値観なんてもんはまったく変わってくる。

何が真実で、
何が正しいのか、間違っているのか。

そんなことは立場が変われば、何もかもが変わる。

だけど人は、
いとも簡単に同族意識に支配され、
自分の属する側の価値観が正しいと刷り込まれてしまう。

凄く危険なことだが、
残念ながら人間ってのはそういうもんだ。


そういったことを、
昔、フィル・コリンズが唄っていた。


Both Sides Of The Storyという曲だ。


社会に居場所のないホームレス。

愛し合っているはずの夫婦間の軋轢。

一本の境界線を挟んで戦わねばならぬかつての同胞達。

貧富の差が生み出す犯罪。


人と人が交わることにより生まれる、
様々な問題を切り取ったこの曲のサビで、
フィルはこう唄っていた。


たとえ認めたくなかったとしても、
いつだって物語は、二つの側から聞かなくてはいけないんだ、と。


「日本人」として捉えると、
おいおいその言い分はメチャクチャだろ、と思うこともある。

でもやっぱり、
物事には別々の側面があるものだ。


立場が変われば、
テロリストも英雄になる。


相手の立場に立って考える、理解する、受け入れる。

それがそう簡単にできるならば、
人間関係が壊れることなんてないだろう。

紛争なんて起こらないだろう。


それはとてもとても、難しいことだ。


何より俺自身が、
いつだって自分だけが絶対的に正しいと思って生きてきた。
議論や討論で負けたことは、ほとんどない。

そうやって自分の主義主張、
哲学美学や理論を押しつけて、
ずいぶん好き勝手に生きてきたものだ。

でも、
今はできるだけ、少しでも、
フィルが唄っていたように生きたいな、と思う。




目を閉じるな。

歩き去るな。

物語を、
二つの側面から聞いてみるまでは。




憎しみ合いや殺し合いや戦争。
そんなもんは映画の中だけで充分だ。




戦いと殺しと血の映画ばっかり創ってる俺だけどさ。













Aug, 31, 2012